第一章

「転地」

部屋は、真新しさを感じさせる白い壁が四方を覆っている。
それらの壁は、窓から入る西日を見事に映し出していた。
壁同様に、作戦部部長、大田孝蔵も西日を受けている。
普段からしかめた顔をしているが、日光のまぶしさにより、さらに顔をしかめていた。
さすがに煩わしいと感じて、窓のブラインドを閉めた。 瞬間、部屋は蛍光灯の明かりだけで照らされる。

「厄介なことになったな、深狭」

ブラインドを閉めた後、椅子に腰掛けながら、大田は言った。
対面するのは、関係者の深狭徹である。
深狭は、鍛錬により洗練された体格をしているが、青年らしい風貌は以前として健在している。

「状況は最悪だ。特殊行動班のメンバーが3名殉職、1名逃亡。
そして目的の書類は手に入らずか……
組織内はもちろん、政府からもかなり批判が来ている」
「そうですか。しかし、今回の問題は裏切者の出現です。
これは作戦課に問題があったとは一概に言い切れないはずです」

深狭は、自分のいる課、組織にすべての責任を押し付けられることが気に食わなかった。

「私だってそう思っているさ。しかし、裏切者が出たことが大きな問題なのだよ。
人事の方もかなり慌しくなっている」

大田は両肘を着き、身を乗り出した。
深狭の表情を見つめつつ、重みのある声で言い放つ。

「裏切者が一人でるということは、共犯者が内部にもいるはずだ」
「待ってください。それは……!」

深狭は息を呑んだ。

「そうだ。深狭、貴様が共犯者だという話が上がってきている」
「待ってください!私には、そんなことをしても何の利益もありませんよ」

深狭は動揺しつつも、異を唱えた。

「まぁ、待て。それはあくまで一つの可能性だ。私は貴様が裏切者だとは思えん。
しかしだな、そう考える者がいる以上、貴様を原隊復帰させるわけにはいかない」

大田は机から書類を取り出し、机の上に放り出した。
ばらけた書類に目をやりながら、大田は話を続ける。

「貴様はしばらく、警務部第二警務調査課に異動してもらう。
問題が収拾するまで、そこでおとなしくしてほしい。傷のこともあるしな」
「そこって、左遷先という噂がある課ですよね?」
「確かにそうだが、実績はある。安心しろ、時が来たら引き上げてやる。それまでは……」
「わかりました。異動命令を受領いたします」

深狭は大田が言い終わるのを待たずに返事をした。
回れ右をして、部屋を後にしようとした深狭だったが、異動先の資料を貰ってなかったことに気づき、
机の上にある資料をバッと掴み、そのまま部屋を後にした。
その後姿を見つめる大田は無念の表情を露にしていた。



深狭が部屋を退室してから数分もしないうちに別の人物が作戦部部長室に入ってきた。

「失礼します」

背丈は深狭と同じくらいだが、体つきは深狭に少し劣る。
四角い眼鏡が知的な印象を大きく与えた。

「一体、何のようだね?情報調査第二課職員、原田弘明」

大田は厄介事が現れたと言わんばかりに、怪訝な顔をしている。
原田弘明と呼ばれた男は大田の表情を気にも留めず話を進める。

「別にあなたにどうこうしようって訳じゃありませんよ」

原田は手にしていたファインダーから一枚紙を取り出した。

「ちょっと、別件で過激な発言をする国防族議員を監視していたのですが、先日、おもしろいものを見つけましてね」
「ん?」

大田は、原田が手にしていた紙を受け取った。
どこかのオープンカフェを写したような画像が貼られている。
そこに二人の人物が会話をしている瞬間が撮られていた。

「おい、これは!」
「えぇ、密会シーンです。あなたのとこにいた西村って人と私の監視している人のです」

大田は鼓動が乱れるのを感じた。
今までにない不安だった。

「内容はわかりませんが、この二人の接点がほとんど謎です」
「原田、もう少し情報はないのか?」
「今のとこ、ゼロです。ここから私らが調査を開始するんですけどね」
「わかった。もし、よかったら情報提供を頼んでもいいか?」
「等価交換って言葉はご存知?」

掌をひらりとするジェスチャーをしながら原田は言い放った。
その動きはスターウォーズに出てくるジェダイを連想させた。

「等価交換か。わかった。こちらもそちらが要求するものは渡そう」
「わかりました。仮契約はできましたね」

原田は大田に渡した紙を回収し、くるりと向きを変え、退室しようとする。

「まぁ、今回の事件は私たちの組織だけでなく、日本自体の危機に繋がりかねないものなので、
緊急時の場合は、本気で協力いたします」

退室する寸前で、原田は言った。
大田は原田の後姿しか見ることはできず、表情を伺うことはできなかった。
しかし、その声にはさっきまでとは違う重みがあった。



ダンボールに荷物をまとめ、異動先へと向かう深狭。
この建物は十年前に建設されたとはいえ、未だ新築ビルの様相を残している。
ここができる前までは、警察や自衛隊の施設を一部借り、活動してきたらしい。
しかし、深狭としては、六本木のど真中に諜報機関の施設を置くのはいかがなものかと疑問に思っていた。
世間的なオフィスビルの内装を思わせる壁が続いている。
深狭はエレベーターに乗り、地下へと向かう。
地下は上層階と違い、コンクリートに覆われたシェルターを思わせる内装だ。
深狭はあるドアの前で止まった。
表札には「警務調査第二課」と書かれている。

「ここがあたらしい職場か」

若干、気を落としつつ、深狭はドアをノックし、部屋へ入っていく。

「よく来たな」

入ると同時に、奥から声がした。
課長用のデスクに腰掛けた人物が言ったのだ。

「深狭徹、本日付で警務調査第二課に配属されました」
「あぁ、知ってるよ。君から見て右の空いている机が君の机だ」

その人物はさっきまで読んでいた新聞をぽんと机の上に放り投げる。
深狭が自分のデスクに荷物を置くのを見つめながら話を始めた。

「私は、ここの課長。河原秀司だ。よろしくな」

唐突の紹介に戸惑った深狭だった。

「はっ、よろしくお願いします」

挨拶が終わると、深狭はふと周囲を見回した。
明らかにおかしいところがあった。
この課の職員が誰一人としていないことである。

「あの、他の職員はどこに?」
「あぁ、今、一課の資料調査・整理作業に行ってるとこだよ。
あと数分もしないうちに帰ってくるだろう。とりあえず、座っとけよ」

なんて、いい加減な課長なのだ。深狭は怪訝に思った。
表情に出ていないものの、今までの職場環境と違いすぎるため、ショックは大きい。
深狭はモヤモヤしながらも、ダンボールより荷物を取り出し、デスクに収納していく。
収納とは言うものの、私物は大してもっておらず、文房具や手続き用資料ばかりである。
バインダーを引き出しに収納している際、ドアの開く音がした。

「はぁ、疲れた」

男が首の間接を鳴らしつつ入ってきた。

「栃木、お疲れ。どうだったよ?」
「デスクワークだよ。しかもひどいデスクワークだ。俺は体を動かすのが本職だぞ」

栃木と呼ばれた男は、背伸びをし、だるさから解放されようとしていた。

「あ、それと。栃木、新しい課のメンバー。深狭徹君だ」

突然、話を振られて戸惑った深狭だが、何事もないように返事をする。

「本日付で配属された。警務班班長を務める。よろしく」
「俺は、栃木太一、警務班の班員だ。よろしくな」

深狭は、上官である自分に対して、馴れ馴れしい態度をする栃木に違和感を覚えつつ、握手を交わす。

「まぁ、警務ったって、一課が全部やっちゃうから、俺達がいる意味ってあんまりないんだけどな」

栃木のこの言葉は絶望的だった。
配属される段階で、この課は冷や飯食いだと思っていたが、本当にそうであった。
深狭は希望が潰えつつあると確信せざるを得なかった。
しかし、仕事をしないわけにはいかない。
深狭は、引き続き、所有物の整理を行った。
そんな中、再び、誰かが部屋に入ってきた。

「栃木さん、どうして先に戻っているんですか」
「その通りだ。私のような老人にだけ、仕事をさせよって」

入ってきたのは二人だったが、その面子を見て、深狭はあっけにとられた。
一人は、良い家柄の娘なのか、ツヤのある黒髪をなびかせている。
大和撫子と表現してよかろうと思える雰囲気だった。
一方、もう一人は、定年まで残り僅かと思わせるような老人だった。
白髪がなければ、どこにでもいる御爺ちゃんをイメージさせるような風貌だった。
白髪と制服でなんとか若さと威厳を保っているようだった。

「加賀宮くん、熊岡さん。お疲れ」

河原は手を振りながら二人に話しかけた。

「課長、お疲れ様です」

加賀宮と呼ばれた女性は律儀にお辞儀をした。

「あ、彼が本日付で、ここに配属された深狭徹だ」
「警務班班長を務める深狭です。よろしく」

また、自己紹介をせねばならず、深狭はうんざりした。

「若いのに班長とは、よくやる」

熊岡は、感心しつつ、自分の席へと戻っていった。
第二警調課のメンバーは課長まで合わせて5人という少なさだった。

「課長、これで全員なのですか?」

深狭は念のために質問した。

「あぁ、これだけだ」

しかし、返事は予想した通りのものだった。
警務と内部調査を行う課がたった5人。
そして、実際に活動するのは4人。
このような課が存在していいのか、と深狭は自問した。

「今のところ仕事はない。とりあえず、自分のデスクでゆっくりしといてくれ」

河原はそういうと、再び新聞を読み始めた。
その態度に対し、深狭は呆れ気味に背もたれに寄りかかった。

「あ、そうだった」

突如、河原が声を上げた。
何か仕事か、と深狭は一瞬身構えた。

「コーヒーとかお茶は、そこの給水所で、自分で淹れてくれ」

深狭は、これ以上、落胆することは不可能だった。
生か死かという現場で生きてきた自分にとって、これほど力の抜けた職場はギャップがありすぎる。
このような、場所で仕事をしなければならないということは、深狭にとって本当に屈辱であった。
しかしながら、仕事は仕事である。
深狭は一通り整理を終えると、内部における不正や離反に関する資料を読み始めた。

「本当にこれで、大丈夫なのか……」



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