日本列島に大型の台風が上陸した。 舞鶴の某港も台風の影響を受け、船舶の出航ならびに入港は全面的に禁止されている。 本来ならば、静かなはずの港も、尋常ではないほどの風雨により、静寂とは程遠い環境だった。 そんな中、数人の男たちが闇夜に紛れ、港内を駆けていく。 男たちは濃紺の戦闘服に身を包んでいた。 手に持ったMP5Kは水滴が付着し、彼らが動くたびに周囲に飛び散っていた。 「本部、こちら第3小隊。現在、目標に接近中、異常なし」 先頭を進む男、西村和夫は立ち止まり、首元の無線機に話しかける。 「こちら本部、了解した。そのまま任務を実行しろ」 無線機からは無機質な声が返ってきた。 男たちは、再び駆け出した 。 一隻の大型船舶へ侵入し、ある資料を持ち帰ることが彼らの目的である。 雨のせいで視界は悪いが、目標は大きく、ある程度離れていても視認することは可能だった。 再び、西村が立ち止まり、後ろの男たちに小声で話しかけた。 「タラップを上って、甲板より潜入する準備はいいか?」 「了解」 西村のすぐ後ろにいた男、深狭徹が返事をするとタイミングを計ったように次々と吉田、田中、仲居が返事をした。 西村ら5名は、足音もなく、タラップをゆっくり上っていく。 甲板に上がるや否や、直ちにコンテナの陰に隠れ、周囲の様子を確認する。 「どうやら、見張りはいないようだ。早速、内部に侵入し、任務を遂行する」 西村は無線機に話しかけ、その後、手信号を使い深狭らに指示を出した。 二手に分かれ、深狭らは艦橋へ、西村らは貨物室へと向かおうというものだった。 西村、仲居の班と深狭、吉田、田中の班に分かれて、進むことになった。 「船員には無線傍受をしている様子はない。無線の使用を許可するが、できるだけ回数は減らせ」 周囲の様子から状況を推測した西村は隊員に指示を出した。 「わかりました」 深狭が代表して返事をする。 二手に別れ、それぞれに船内の調査を開始した。 深狭たちは、着々と艦橋へと距離を詰めていった。 「大型船舶だけあって、やはり艦橋までは遠いですね」 若干、息切れしながら、吉田が言った。 疲労も原因ではあるが、緊張によって、興奮状態になっているようであった。 吉田の状態をある程度推測した深狭だが、そのまま先に進み続けた。 しばらく行くと、艦橋へ上がる階段が見えてきた。 「しかし、船員は誰もいなかった。 嵐とはいえ、当直くらいいてもおかしくは無いだろうが……」 深狭は抱いた不安を言葉にした。 「部屋の区画が違うんじゃないのか? まぁ、船員がいないならいないで、任務に支障はないんだから、逆に喜んでいいだろう」 田中が周囲を警戒しつつ深狭の不安に反論した。 「そうだな」 何か違和感を持ちながらも、深狭は艦橋へ続く階段を上り始めた。 「攻撃を受けた!やつらはかなりの武装を……」 艦橋に入るや否や、突如として無線に仲居の声が入ってきた。 それも、尋常ではない焦った声だ。 「こちら、深狭だ。仲居、どうした。応答しろ」 仲居から応答はなく、ノイズだけが聞こえる。 「な、何が起きたんだ?」 吉田は声が上ずりながら、声を発した。 吉田の緊張も相当なものである。 深狭は、吉田の様子を見て、これ以上、同行させるのは危険だと判断した。 「田中、吉田と一緒に艦橋に残れ。ここなら出入り口が少ないから守りやすいだろう。 あと、本部と連絡を取り、状況を伝えておいてくれ」 「よし、わかった。ところでお前は?」 「俺は、貨物室のほうへ向かってみる。 隊長とも連絡がつかないからな。様子を見てくる」 深狭は念のためMP5Kの初弾を装填し、射撃姿勢を取り貨物室へと向かった。 田中は、徐々に遠くなっていく深狭の背中を見つめつつ、吉田に声をかける。 「疲れただろう。少しくらい休憩する時間はある。 今は休め、見張りは俺がやっておく」 「わ、わかりました」 吉田の声は以前上ずっている。 田中は、電源の入っていない艦橋内のコンソールを見渡した。 「深狭が言うように、何かがある ・ ・ ・」 田中の中で、徐々に不安が大きくなってきていた。 その不安を少しでも振り払おうと、艦橋の出入り口に体を向けた。 「誰が来たって、ここを抑えていれば負ける訳は無い」 深狭が命じたとおり、田中は出入り口の見張りを始めた。 その後ろで、椅子に腰掛けて休みを取っている吉田がいる。 そうやって、彼らは深狭の帰りを待った。 「はぁ ・ ・ ・はぁ ・ ・ ・ ・」 貨物室まで駆け足で移動した深狭は、息切れを起こした。 いくら訓練を受けたとはいえ、走り続ければ体力は消耗する。 貨物室の入り口で、深狭は壁に背中をつけ、頭をそっと出し、室内の様子を確認した。 「誰もいないのか?」 あまりの静けさに戸惑いつつ、忍び足で貨物室へと入る。 移動する時は、視線と銃口を同じ方向に向け、いつでも射撃が可能なようにしている。 室内を照らす赤色灯が異様な空間を作り出していた。 深狭は徐々に高くなる心臓の鼓動を感じながら、足を進める。 部屋の奥の壁を見てみると、弾痕がいくつかあり、本当に銃撃があったと認識できた。 弾痕のある壁付近の床には、明らかに赤色灯とは違う赤色があった。 深狭は、まずいという思いが湧いてきた。 しかし、もはや後戻りはできない。 「なんてことだ……」 深狭の予想は的中した。 床に広がる赤色は血だった。 その血だまりの中に仲居の死体があった。 深狭は、しゃがむと仲居の脈を確認した。 「仲居、一体何が起きたんだ」 深狭は、ぼそりとつぶやいた。 そのつぶやきに対して、返事が来ることはなかった。 深狭は仲居の瞼を閉じさせてやると、仲居の持っている予備弾装を回収し、立ち上がる。 仲居から無線を受けてからあまり時間は経っておらず、仲居を殺害した人物はまだ船内にいるはずだと、深狭は確信した。 しかも、仲居は動脈部分を至近距離から撃たれている。 恐らく、壁の弾痕は入り口あたりから射撃されたもので、仲居はそれを回避した。 だが、近距離より何者かに撃たれた、となると複数犯存在すると深狭は予測した。 「田中、聞こえるか?船内に敵が複数、侵入しているようだ」 深狭は、誰かに会話を聞き取られないように小声で状況を説明した。 無線を受けた田中は息を呑んだ。 「了解した。状況を本部に伝えておこう。俺たちは、引き続き艦橋で待機する」 「頼んだ。あと、班長についてだが ・ ・ ・」 待てよ、と深狭は違和感を抱いた。 西村と仲居は一緒に行動していた。 ならば、なぜ、西村の血痕や遺体は無いのか。 深狭は、西村が命からがら退避した、途中で仲居とはぐれた、など様々な場合を考えた。 だが、どれもありえない。 深狭の知る西村は、屋内戦闘については凄腕で、この貨物室のような場所では、不意を突かれることはないはずだ。 嫌な考えが深さの頭を過ぎる。 仲居を殺害した人物と西村は手を組んでいる、というものだった。 いや、それこそ、西村が仲居を殺害したのでは?という考えさえも浮かんできた。 「おい、深狭?どうしたんだ」 無線で田中から声をかけられたことで、嫌な思考を停止することができた。 「いや、班長についてだが、姿が確認できない。 恐らく、上手いこと退避したのだろうが、どうにかして、連絡をつけてみる」 「班長はやはり、いないか。 俺たちも班長に連絡をつけようとしていたんだが、全然、つかなくてな」 「そうなのか、無線が不調ということもあるしな」 深狭は、できるだけ嫌なことを考えないようにした。 「今から、艦橋に向かう。後で合流しよう」 「了解した。気をつけて戻っ ・ ・ ・」 田中の声が突如、異様なものとなった。 後ろでいくつかの銃声が聞こえてくる。 まずい、という思いが深狭の心の中を廻る。 深狭は必死に無線に呼びかけた。 「おい、どうなっている。状況を報告しろ」 「こちら、吉田!銃撃を受けている。田中は死亡!」 深狭は田中と連絡を取ったことを後悔した。 自分が話しかけたことによって、田中に隙ができてしまったと感じたためだ。 それと、同時に異常事態が訪れたと確信した。 「吉田、そこから逃げれるか?」 「無茶です。出入り口は一つなんですよ。どうやって逃げろと」 出入り口が一つということは、見張りやすい反面、包囲されれば、逆に袋のねずみになってしまうのだった。 深狭は、全てにおいて、自分の判断・行動が裏目に出ていると感じた。 「今から、急いで艦橋へ向かう。応戦できるのであれば、応戦しろ」 「わ、わかりました。早く来てください」 吉田は敵を警戒してか、小声で返事をしてきた。 深狭は急ぎ艦橋へと走った。 敵が潜んでいる可能性があると、頭ではわかっていたが、周囲を警戒しながら進む暇はなかった。 物音をいくら立てようが、気にすることなく走り続けた。 艦橋へ続く階段を登ろうとした時、血の放つ匂いがした。 深狭の中では、不安は大きなものとなったが、無条件に艦橋へと走りこんだ。 艦橋内は深狭の予想した通り、最悪の状況になっていた。 無線でのやり取りで、田中が死んだのはわかっていたが、吉田まで死んでいることに衝撃を受けた。 状況的にやられることは十分に予測していたが、実際に目の当たりにすると、その衝撃は相当なものとなる。 「吉田……」 深狭は膝から崩れ落ちた。 しばらく、放心状態で吉田の死体を見つめていた。 だが、生き物としての本能が優先的に働いたらしく、後ろに人の気配を感じることができた。 耳を澄ませると、銃の安全装置を解除する音が聞こえた。 深狭はMP5Kを静かに構え直し、振り返るタイミングを伺った。 後ろで銃身の動く気配を感じ、深狭はその瞬間に後ろを振り返り、後ろに立つ人物の頭部を狙った。 「え?」 深狭は、間の抜けた声を発していた。 そこには、班長である西村が立っていたのだ。 深狭は安堵したのも束の間、西村が他のメンバーを殺したのではないかという疑問が蘇ってきたためだ。 なんとしても話を聞かなければ、と深狭は口を開いた。 「西村班長、今までどこに居られたのでしょう?」 「貨物室で謎の男たちに襲撃を受けてな、急いで退避したんだ」 「仲居を見捨ててですか?」 「あまりに急だったんでな、仕方なかった」 西村は銃口を下ろした。 深狭は、西村の表情を見つめた。 その表情は後悔の念が篭っているようだった。 本当は犯人ではないのか?という考えが深狭の中で出てきた。 だが、まだ完全に西村の疑いが晴れたわけではなかった。 「一切の反撃をせずに撤退するとは、班長らしからぬ行為ですね」 「俺も訓練は徹底的に受けてきたが、実際に訓練通りはできないものだな」 深狭は西村の心情を読もうと努めた。 だが、西村の考えは見えてこない。 疑いが晴れぬ以上はここで油断はできなかった。 「訓練通りにいかなかった? あなたは海自の特別警備隊にいた時、小笠原不審船事件で出動したはずです」 「よく知っていたな。 あの事件は報道関係以外でも各機関に情報規制が入ったはずだが」 「私が元どこの所属だったか覚えていますか?」 「そうか、中央即応隊にも情報は流れていたんだったな……」 西村は言い終わるとさっきまでの雰囲気とは打って変わり、視線に敵意が篭っていた。 危険だ、と深狭は感じ取ったものの、すぐに行動には移せない。 蛇に睨まれた蛙とまではいかないが、銃を構えなおすことができない。 しかし、西村のほうは全く躊躇せず、銃を構えた。 撃たれることはまず確定した。 だが、追い詰められた人間は反射的に生存するための行動を起こす。 深狭はMP5Kを構えずに西村に向かって投げ飛ばした。 西村は銃が飛んでくるなどと予想していなかったため、それを防ぐために体勢を大きく崩した。 その瞬間、艦橋の窓ガラスが大きな音を立てて割れた。 雨音とガラスの割れた音は独特の不協和音を奏でた。 「深狭!」 西村は大声を上げ、飛び降りる深狭に向けて銃を乱射した。 しかし、間一髪で深狭に命中することはなかった。 深狭が飛び降りたのが早く、銃弾が命中する前に射線上から姿を消したいたのだった。 「くそ!」 西村は小さく毒づいた。 不規則に割れた艦橋の窓ガラスは鋭利な刃物をイメージさせ、その矛先は西村に向いているようにも見えた。 西村はガラスに気をつけながら艦橋から甲板を覗き込んだ。 そこには深狭の姿はない。 西村は直ちに無線で報告を始めた。 「各員、聞こえるか?唯一の生存者は逃亡、おそらく甲板のどこかにいるはずだ。 艦橋付近の甲板を集中的に調査しろ」 通信が終わるや、西村はMP5Kを構え直し、艦橋を後にした。 「思うように走れないな ・ ・ ・」 深狭は艦橋の下にあった貨物がクッションになるだろうと、飛び降りたのだが、思ったよりも受けた衝撃は強かった。 そのため、深狭は左足を捻挫してしまったのだった。 「港に逃げても狙い撃たれるだけだ。ならば ・ ・ ・」 深狭は右足を引きずりながら海に向けて足を進めていた。 海にさえ飛び込めば、嵐の中では容易に見つかることはないと考えたのだった。 しかし、そのまま、波に飲まれてしまうという危険も含んでいた。 深狭はまさに自殺行為そのものに近い選択をしたのだった。 「おい、いたぞ」 後ろで、男の声が聞こえた。 おそらく、仲間を殺した連中の一員だろうと深狭は考えながら、足の速さを上げた。 後ろでリズミカルな射撃音がする。 深狭は死を覚悟しながらも、足を止めることはなかった。 「うっ!」 左肩に何か突き刺さったような感覚がし、そこから熱さが感じ入られた。 撃たれたと、すぐに認識した深狭だが、気にも留めず、さらに足のペースを速める。 銃声は今も一定のリズムを取りながら、聞こえてくる。 背中側の防弾チョッキに2,3発命中した。 その反動で大きく前に押し出されたが、それが功を奏した。 深狭はそのままの勢いで、海に落ちたのだった。 「逃がしたか!お前らは、どこで射撃訓練を受けたんだ。 負傷者一人殺せないでどうするつもりなんだよ!」 西村はかつての仲間を殺した連中に怒鳴り散らした。 「仕方ない、時間が惜しいからな。直ちに撤収するぞ。いいな!」 西村の掛け声と同時に男たちが駆け出す。 逃げるための準備を開始したのだ。 西村はそれを横目に見つつ、海に目を向ける。 苦虫を噛み殺す形相で、嵐の海を睨み続けた。 「早く、防弾チョッキとか脱がないとな ・ ・ ・」 深狭は徐々に沈んでいく中で、呟いた。 周囲は暴風雨と暗黒の世界が覆っている状況で、とても絶望的だった。 しかし、深狭の中で生き延びようという想いは尽きることはなかった。 次へ |