第五話



B-439は予定通りの航路を順調に進んでいた。
ズセは一定間隔で外の仲間とやり取りを行い、周辺海域の安全を確認していた。
元々、艦に備わったソナーで周囲の状況は分かるのだが、念のため半漁人にも情報を貰うような状態だった。
トカチョフは自分達だけでもよかったのではという考えが強くなっていた。
だが、それを表情に出すことはなかった。
マチュショフもまた、自分が考えすぎだったかと思い始めていた。
すでにサイレントランニングの指示が出されており、艦内は静かであった。
その中で、原田たちと傭兵たちは士官室に待機していた。
原田と福本は静かに椅子に腰掛け何が起きてもいいように心構えをしていた。
一方、マールら5人は黙ったままポーカーをやっている。
本来なら何かを賭けて騒ぎながらやっているのだろうが、今は暇つぶしにやっている感じだった。
ヴィクトルはサイレントランニングの指示が出たと同時に士官寝室に戻っていった。
この状況がどのくらい続くのか、原田は考えていた。
静かに待機しておかねばならないため、相当なストレスがあった。
司令室では、静まり返った空間の中で、報告の声だけが小さく行われていた。
皆、このまま沈黙のうちに目的地へと到達すると思っているようだった。
そんな中、ズセの様子が変わった。

「数名と交信できなくなりました……」

その報告にマチュショフは怪訝な顔をする。

「まずいな……」
「生存している仲間に何が起きたのかを聞きます」

トカチョフは何が起きているのか分からなかった。
だが、マチュショフは心当たりがあるようだった。

「マチュショフ、何が起きている?」
「奴らの防衛手段の一つが動き出したみたいです」
「何?」

トカチョフはとりあえず、危機が迫りつつあることはわかった。
ただ、それが何なのかはまだ分からない。
すると、ズセが突如としてトカチョフを見た。

「まずいです。船の右方向に旋回させてください」

トカチョフはよくわからなかったが、ズセがあまりにも危機迫ったような言い方だった。
そのため、言われたとおりに命令を下す。

「面舵!指示があるまで舵をきれ」

操舵手により舵がきられる。
すると、数秒後にわずかな振動を感じた。

「何だ今のは?」

トカチョフは思わず声を出していた。

「奴の攻撃です。なんとかかわせたようですが」

ズセは強張りながら言った。
トカチョフはマチュショフに説明を求めようと視線を向けた。
マチュショフはその雰囲気を感じ取ると、説明を始める。

「これは、あいつらが海からの侵入を防ぐために放ったクラーケンです」

司令室はその言葉に唖然となる。

「待ってくれ、クラーケンとは、あの架空の生物だろ?確かに巨大イカは存在するが……」
「吸血鬼たちが過去数千年間育てていた使い魔の一種です」

マチュショフが説明する中、ズセがまた口を開いた。

「今度は、先ほどと同じ向きに船体を向けてください」

トカチョフはその声に従い、取舵の指示を出す。

「このままでは逃げるばかりだ」

トカチョフはこの状態からだと、いずれやられると思った。

「ソナーに反応は無いのか?」

ソナー員は無言で首を横に振った。
その様子を見て、マチュショフは言う。

「奴は一種のステルスシステムを持っていると思ってください。
音波を吸い取るため、ソナーでは位置を特定するのは無理です。唯一、捉える方法としては目視のみです」
「目視だ?この海の中でどうやって目で見ろと?」

トカチョフは思わず反論していた。
だが、その瞬間あることを思い出した。
マチュショフもトカチョフの様子からようやく気づいたかという表情を見せた。

「半漁人たちにクラーケンの位置を知らせてもらい、この艦で奴を撃退するのです」
トカチョフはごくりと息を飲んだ。
まさかこの長年生きてきて、分けも分からない作戦の中で人間以外の化け物を相手にするとは思いもよらなかった。

「艦長、奴は艦の正面に移動しています」

ズセが報告を続けていた。
トカチョフは攻撃のチャンスだと思った。

「奴に魚雷は聞くのか?」
「もちろんです。このまま真正面にきたらお知らせします」
「頼む」

わずかな沈黙が続く。
その中でズセに皆の視線が集まった。

「来ました」

ズセが突如として発言する。
それを合図にトカチョフは指示を出す。

「1番2番発射」

雷撃員は指示を復唱し、操作を行う。
魚雷発射の独特な音が聞こえた。
着弾までの間、皆が沈黙し、状況を見守った。
しかし、着弾の時刻をまわっても爆発音は聞こえなかった。

「どうなたった?」

トカチョフの呟きにズセが反応する。

「報告が来ました。どうやら魚雷は奴の触手に弾かれたようです」
「まさか。着発信管のはずだが……信管ごと潰したか……」
「まずいです。奴は今度は艦の後ろに動こうとしているようです」

ズセが再び状況を報告した。
トカチョフは攻撃方法を考えつつ、移動の指示を出す。

「180度回頭。再び、奴を正面に捉える」

着発信管は、弾頭が敵に接触して起爆するシステムだ。
だが、その信管が作動する前に対処されては意味が無かった。
クラーケンの触手で弾かれる前に起爆させる必要がある。
トカチョフは考えた。

「信管を時限信管にしろ」

その指示を出すと、ズセの方を見た。

「我が艦と奴との距離を正確に伝えて欲しい」
「わかりました」

トカチョフはクラーケンとの距離から魚雷が到達する時間を計算した。
弾かれる前に近くで爆破させようという考えだ。

「奴の触手がこちらに!」

ズセが再び報告する。
トカチョフは予想以上に敵が近かったことに驚いた。

「下げ舵20度!潜ってやり過ごす」

操舵手が指示通りに操作を行う。
ややきつい傾きを見せつつ、深度が下がっていく。

「敵の攻撃を回避」

ズセが状況を伝えた。
トカチョフはそれを聞き頷く。
そして、再び指示を出した。

「上げ舵15度。回頭運動を続けつつ、敵を正面に捉えろ!」

クラーケンも体勢を整えようとしているのか、動きについてズセからの報告がない。
船体は徐々に移動し、確実に攻撃圏内にクラーケンを捉えようとしている。

「奴が正面に!」

トカチョフの予想通りのタイミングでズセが報告する。

「3番4番発射!」

トカチョフが攻撃の指示を出す。
魚雷の動きとクラーケンの動きをズセが報告する。
今のところトカチョフの予想通りだった。
クラーケンは先ほどと同じように触手で迫る魚雷を弾こうとする。
その瞬間、起爆した。
わずかな揺れが船体を揺らす。

「水泡が多く、確認ができません」

ズセが現状を報告する。
だが、トカチョフは再び攻撃命令を下す。

「着発信管の魚雷を撃て、5番6番発射!」

様子を見るためでもあったが、確実に仕留めるためのものだった。
案の定、クラーケンは健在だった。
再び迫る魚雷を弾こうとする。
一発は弾くことに成功するが、もう一発はそのまま胴体に着弾する。
そして、そのまま動きが見られなくなった。
大きな巨体は静止したまま、深海へと姿を消していく。

「やりました。ただ、本当に死んだかどうかは……」

ズセが外の状況を報告する。

「死んでいなくともいい。道はこれで開けた」

マチュショフは冷静な声で言った。
トカチョフも同意したらしく、無言で頷く。
マチュショフは何とか切り抜けられたと内心では胸をなでおろしていた。
B-439は予定航路を着実に進みつつあった。


外では冷たい風が吹き荒れ、氷に覆われた海が広がっていた。
極寒の空間に佇む建造物の中は外とは大違いだった。
その中の一室で、カリストラトフはくつろいでいた。

「む?」

目を瞑りソファーに深く腰掛けていたが、突如として目を開く。
カリストラトフは違和感を感じた。

「クラーケンの気配がなくなったか……」

吸血鬼社会から無理やり奪い取った使い魔だったが、意外とあっさりと使えなくなったなと思った。
かつては、海を行き来する人間を有無を言わせず飲み込んでいたクラーケンだったが、今となっては人間に勝てなくなっていた。
カリストラトフは人間の進歩を面倒だと感じた。
それと同時に今回の作戦が予想通りに運ぶかも考えていた。

「多数の防衛策をとっていれば、デコイもデコイだとは思われないか」

何かを考えての独り言だった。
日本からの別働隊はすでにユーラシアに着いたことを確認していた。

「あとは、この場でうまく立ち回れるかどうかだが」

カリストラトフは再び目を瞑り、自分が動くべき時まで休むことにした。
監視に関しては人間達がやっている。
自分は時間が来るまでただひたすら待つばかりだと、心で呟いていた。
自然と意味深な笑みが浮かんでいた。



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