第四話



徐々に瞼が開き、目が覚める
ぼやけた状態で天井を見つめた。
しかし、いつもと違いやけに天井が間近にあった。
原田は自分の状況を思い出し、思わずため息を付いた。

「寝起きでため息とは、珍しいことするな」

近くで福本の声がした。
原田は視線を声のした方に向ける。
すでに普段着へと着替え終えた福本がそこにはいた。

「ベッドが狭いと寝起きも悪いな……」

原田は天井に気をつけつつベッドから降りる。

「まぁ、船体が小さいからな」

その狭い空間の中に2週間以上監禁されねばならず、原田は嫌気が刺していた。
すでにチュクチ海に差し掛かっており、目的地へ確実に近づいていた。

「マチュショフたちは?」
「それが、待ち合わせがあるとか言って、甲板に向かってたぞ」
「待ち合わせ?よくわからんな」
「元からだ。俺達には情報を教えてくれないからなあいつ」

福本がため息をついた。
ここ数日、この二人は吸血鬼に振り回されてる感じだった。
原田も起きて普段着に着替えることにした。
福本は先に部屋を出ようとしていた。

「どこに行くんだ?」

原田は何気なく聞いた。

「マチュショフが気になるからな。俺も甲板に行って来る」
「そうかい」

福本は原田の返事を聞き終わる前に部屋を出ていた。
原田は上着の袖に手を通しながら、トレーニング中の乗組員たちに混ざってこようと考えていた。



外は快晴だった。
穏やかな海は見ていてとても心を落ち着かせてくれた。
トカチョフはそう思いつつ、周囲の海を見渡していた。
トカチョフの周りには見張り番の乗組員が数人いた。
そして、隣にはマチュショフが立っていた。

「さて、そろそろ予定の時間ですが」

マチュショフは懐中時計を見つめつつ呟いた。
すると、艦首方向の少し離れた位置から水泡が立ちはじめた。
規模はそこまで大きくない。
だが、見張りの者たちは騒然とした。
水泡の立ち方が強まっていく。
皆が息を飲む中、マチュショフとトカチョフだけが毅然と構えていた。
マチュショフに関しては事情を知っているという理由もあった。
そして、水泡の中より魚の顔をした人型の何かが出てきた。
それは、その何かはそのまま船体に登り、セイルまでやってきた。
乗組員が身構える中、その何かは口を開いた。

「どうも、お待たせしました。半漁人のズセと申す者です」

先ほどの緊張した空気とは裏腹に半漁人の言葉はとても間の抜けた声だった。

「良くぞ、盟約に答えてくれた。待っていたぞ」

マチュショフはそういうと、半漁人ズセに握手を求めた。
半漁人ズセも自然に握手を返した。

「どうも、吸血鬼の旦那。貴方達とは長い付き合いです。約束は守ります」

日本において妖怪を初めとする化け物は一種の鎖国状態にあった。
ユーラシアを初めとする大陸においては吸血鬼が化け物の長といって過言ではなかった。
そのため、吸血鬼が一声かけるだけで、大陸の化け物たちはこぞって呼応するのだった。
半漁人もまた、それに従属する一族だった。

「これから、敵に見つからないようなルートで案内を頼む」
「はい、すでに仲間達が各海域に配置されてますので、案内してもらえます」
「手回しが早いな。期待するぞ」

マチュショフは一通りズセと話終えると、トカチョフにズセを紹介する。

「これから道案内をしてもらう半漁人だ」

トカチョフは内心では驚いていたが、平静を装いつつ対応する。
すっと手を出してトカチョフは握手をしようとする。

「よろしく頼む。ズセ君」

トカチョフは手に滑りを感じつつも、ズセに感謝の気持ちを伝えた。

「それでは、早速仕事をしてもらおうか」

マチュショフはそう言うと、船内へと降りていった。
トカチョフも司令室へと戻っていった。
見張り員たちはトカチョフに続いて中へと入っていくズセを横目に仕事をしていた。



潜水艦内においてもトレーニングルームは完備されていた。
狭いスペースにトレーニング器具が置いてあるような状態である。
大勢は入ることはできず、非番になった乗組員が入れ替わりで使用している。
原田が来たときにはすでに先客がいた。
ヴィクトルが黙々とバーベルと使いトレーニングしていた。
その様子を見つつ自分とは鍛え方が違うなと原田は関心していた。
ヴィクトルはノルマを達成したのか、バーベルを置きタオルを取っていた。
入り口の原田に気づき、ヴィクトルはそちらを向いた。

「原田か、君もトレーニングか?」
「あぁ、ちょっと暇つぶしに体でも動かしておこうと思って」
「そうか、俺は今終わった所だ。動いてないと体がなまってしまうからな」
ヴィクトルは汗を拭きつつ話した。
原田は今回の任務にヴィクトルが参加する理由が気になっていた。
時間もあると考え、今聞いておこうと質問をすることにした。

「ところで、あんたはなぜ今回の任務を受けたんだ?」
「そんなもの、金のためだ」

傭兵と聞いていたため、やはりそうなのかと原田は思った。

「とは言うものの、それだけじゃない。一種のけじめみたいなものでもある」
「けじめ?」

原田は興味深いなと思い、近くにあった棚に腰掛けた。

「今回、あの施設を制圧した連中は昔、俺が傭兵としてかき集めた奴らばかりだ」
「そういう関係があるのか……。しかし、なぜ今はあんたの部下にいない?」
「基本、傭兵は金で動く。だが、奴は政治的な考えを持つようになってな。
ロシアは結構見えないとこで、軍事に頼った鎮圧をやっててな、正規軍を動かせない時には俺達に役目が回ってくる」

原田は中央即応部隊にいた時に聞いた話を思い出していた。
表のニュースには取り上げられることがない、ロシアの行動についてだ。
共産圏において求心力を持っていたソ連が崩壊したものの、ロシアは以前ほどの求心力を取り戻したいと願っていた。
それは、融和政策に移行することなく、軍事力に頼った政策となっていった。

「俺は金さえ貰えばなんでもやったが、あいつらは優しすぎた。報酬を捨て、現地の軍やゲリラに協力するようになってな……。
それが時間の経過と共に大きな武装集団と化していたんだ」
「だが、それはあんたの責任じゃないだろ?」
「確かにな。しかし、最初に巻き込んだのは俺だ。奴らは行き場をなくした若い連中だったんだ。それを血塗れた世界に引き込んだ責任は大きい」

普段ならたくましく見える体は今は打って変って酷く弱弱しく見えた。

「それが、あんたが参加する理由ってことか……」
「血なまぐさい理由だがな。所詮、傭兵だよ」

ヴィクトルはタオルを肩にかけると、すっと立ち上がり部屋を出ていく。

「原田、吸血鬼退治は任せたぞ」
「え?あ、あぁ。任せておけ」
「今回、あいつらを巻き込んだ首謀者を俺は許すわけにはいかないからな」

原田は、ヴィクトルの後ろ姿を見て、とてつもない怒りが手に取るように分かった。
それは、彼らを傭兵へと導いたことと彼らを利用する首謀者に対する怒りだと感じた。



福本は司令室の異様な空気に呆気に取られていた。
甲板に登ろうとしていたが、その前にマチュショフの用事は終わっていたようだった。
トカチョフとマチュショフが海図に向かい合っている。
この光景は日ごろから見ていた。
だが、そこに今までいなかった何かがいた。

「半漁人?」

福本は新たな乗組員に違和感を覚えざるを得なかった。

「福本か。ちょうどいい紹介しておこう。半漁人のズセだ」

マチュショフは福本がいることに気づくと何気ない顔でズセを紹介する。

「あ、あぁ、よろしく頼む」

自然なやり取りだったが、福本は正直、驚いていた。
なぜ半漁人が乗り込んでいるのか分からなかった。

「艦長、そろそろ潜行しながら侵入したほうが良いでしょうね」

福本を余所にマチュショフは時計を見つつ言った。
マチュショフは出発してからの時間をずっと計算しており、そろそろ吸血鬼の千里眼に捉えられるギリギリの距離に来ていると判断したのだ。
トカチョフは黙って頷くと指示を出した。

「潜行するぞ。ベント弁開け」

トカチョフの指示を受け、乗組員が手馴れた手つきで作業を始める。
潜水を開始する中、トカチョフはマチュショフに言った。

「私達だけでも安全な航路を走ることはできましたが?」
「でしょうね。ですが、それは普通の海ならばです。敵は人間じゃない。
何を仕掛けているかわかりません。用心のために半漁人に協力を求めたのです」

最もだが、とトカチョフは思ったが、潜水艦乗りを長年続けてきただけに釈然とはしなかった。
福本は二人のやり取りから、半漁人の役目を理解した。

「今のところ付近に異常はないようですね」

ズセが突如、発言する。
半漁人は音波を使って外の仲間同士でやり取りをしているようだった。
手馴れた乗組員と海が生活圏である半漁人。
この連携があれば、この先の航海も心配することはないだろうと、福本は思った。
だが、マチュショフの表情は未だに険しく、何かを警戒しているようだった。
福本はマチュショフが何を考えているのか分からなかった。
かといって、それを聞く分けにもいかず、そのまま司令室を後にした。
自分があの部屋にいても今のところ役に立てることは無いだろうと思った上での行動だった。



成田空港においては、いつもと変わらず国際便が行き来していた。
空港内の利用者も多く、日本人だけでなく外国人も混ざっている。
そんな中、サングラスをし全身黒尽くめの男と白いコートにマフラーで口を覆った女の二人組みがいた。
隙間男の榎本と口裂け女の響子の二人組みだった。
二人は、他の旅行客と大した違いは見当たらない。
ただ、正体が人間でないこと以外は、である。

「榎本……。貴方の力を使えば飛行機なんか使わなくてもすぐ行けるのに……」
「そういうな。時間をかけて目的地に行くことこそ、旅の醍醐味ってものだ」

榎本はやけに楽しそうだった。
そんな榎本を見れて響子もどこかうれしさを感じていた。
ただ、ある心配があった。
入出国をどうやってパスするつもりなのか、響子は疑問でならなかった。
自分達は人間でないため、パスポートはどころか戸籍すら存在しない。
そう思いつつ、榎本の後ろをついていく響子だった。
すると、榎本は審査を受けるルートとは違う方向に歩いていた。

「榎本、行き先が違うんじゃ?」
「心配するな」

そう言って、そのまま進んでいく。
そして、壁際に立つ一人の職員に声をかけた。
空港の職員ではなく、法務省管轄の職員だった。
榎本は懐から何かを取り出し、その職員に見せた。
すると、職員は驚いた顔を見せ、誰かに電話を始める。
数分もしないうちに高級なスーツを着込んだ男が現れ、榎本たちを案内した。
響子はその男の雰囲気から人間ではないことが分かったが、あえて気にしないようにした。
そして、本来のルートとは違うルートで飛行機の乗り口まで案内された。
こんなに簡単に抜けれていいのかと、響子は困惑した。
響子の様子に気づいたのか、榎本が口を開いた。

「とんでもないことに巻き込まれるんだ。クライアントに無理な我がままを言ったって罰は当たらないよ」

響子はそのことから、依頼主が裏で手を回していたことがわかった。
それと同時に依頼主の影響力がどれほどか計り知れないという恐怖も感じた。
まるで人間みたいなことを心配するなと、自分でも響子は思っていた。

「さてと、ファーストクラスでの優雅な空の旅でも満喫しようか」

榎本はまるで普通の旅行客のように飛行機へと足を運んでいた。



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