村の異変

この話はラヴクラフトの「ダニッチ村の怪」の影響を受けています。
オリジナルの印象を壊したくない方は前のページへお戻りください。




雨雲が空を覆い、景色を灰色に染める。
何もない平原が広がり、遠くに山脈が確認できる。
私は、車中からその景色を眺めていた。
私、高田翔一は、とある新聞社に勤める記者で、
ある怪事件の取材に向かっていた。
日谷村(ひたにむら)という村で、
ある日を境に家畜が突如、死亡するという事件が多発した。
村人は、疫病かと驚いたそうだが、警察や保健所の調べが進むうちに
全ての死亡した家畜は、鋭利な刃物で刺されたもしくは切られた形跡があった。
これにより、何者かが故意に家畜を殺したという結論に至った。
犯人は未だ発見されておらず、
村人たちは自分たちにも危害が及ぶのではと怯えているらしい。
会社から出立して、約3時間、ちらほらと住宅や畑が見えてきた。
牧場の類も見え始めてきた。
どうやら、日谷村に到着したようである。
今回、取材する牧場はあらかた目星を付けており、
一軒一軒、聞き込みを行うことにしている。
車を降り、住民と接してみたが、話している時は別段変ったことは無いのだが、
私がある程度離れると、嫌な視線を感じた。
まるで、ある種の警告を受けているかのような感覚であった。
一軒訪ねては、車に戻り、次の家へ、到着したら、
また訪ねと、延々と聞き込みの作業を繰り返す。
取材は夕方過ぎまで続いた。
聞けたことは、被害を受けた家畜の牛たちの状態や警察の捜査がどういったものだったとか。
自分たちの被害額はどれくらいだとか。
すでに世間で知られている情報ばかりで、一切、進展しなかった。

日帰りのつもりだったが、予想よりも日の入りが早かったため、
すぐに真っ暗になってしまう。
暗闇の中、不慣れな道を帰るとなると、事故でも起こしかねないと思い、
今日は、村に泊まることにした。
泊まることにした理由は、疲労という点も大きいのだが。
ただ、泊まると決めたものの、小さな村に宿などがあるとは思えなかった。
私は、仕方なく、先ほど取材した牧場の住人に泊まれる所は無いかと聞きに行った。
牧場の主人は、快く宿のことを教えてくれた。
ついでに、宿に行くのが面倒であれば、自分の家に泊まってもいいと言ってくれた。
しかし、お世話になるのも申し訳ないと感じ、私は、教えてもらった宿へと向かうことにした。
牧場からしばらく行った所に村の中心である住宅地に到着した。
中心とはいうものの、住宅・人の数は少なく、寂れた印象を受けた。
寂れたというよりも、皆、何かに脅えているといったほうが正しいのかもしれない。
村の中心地を通り抜け、少し離れた位置に牧場の主が教えてくれた宿はあった。
木造二階建てで、色・雰囲気共々黒い。
宿の前で停車し、中へと入っていく。
一歩進む毎に軋む音がし、一層古さを感じさせる。

「すいません。一泊したいのですが」

薄暗い室内で、私の声だけが響いた。
少し間を空けて、カウンターの方からドアの開く音がした。
薄暗いが、顔は認識できる程度明るい。
白髪・白髭を蓄えた老人が覚束ない足取りで現れた。

「あぁ、お客はなかなか来ないものでね」

老人はカウンターに立ち、一言詫びを入れてきた。

「いえ、こちらこそ、急にお邪魔して」
「部屋はどこでも空いてますが、ご希望はありますか?」
「一番安い部屋でお願いします」

老人はこくりと頷き、部屋の鍵を取ろうとする。
201という番号の鍵に手を伸ばすが、突如、別の鍵に手を伸ばした。
どうしたのだろう、と疑問に思いつつも老人の動きを見守った。

「今、一番安い部屋は、老朽化していて、
危険ですので、二番目に安い部屋でお願いします」

そして、私は、一階の部屋へと泊まることとなった。
部屋の内装は簡易ではあるが、申し分ない。
ふかふかのベッドとお湯が出るシャワーがあれば、十分満足できた。
外は暗いが、寝る時間としては、まだ早い。
私は昼食で食べきれなかったおにぎりとハムを夕食とした。
腹を満たしたら、シャワーを浴び、ベッドに寝っ転がった。
明日、住宅地で少し聞き込みをした後、村を後にするように計画した。
ベッドの上で、スケジュール帳をいじっていると徐々に眠気が起こり、そのまま眠ることにした。
これで、今日の疲れはしっかりとれるだろう。

気持ちよく、眠りについたと思ったが、ふと、私は目を覚ました。
時間はわからない、だが、夜中であると考えていい。
何やら安眠していられない状況な気がした。
慌てて、電気をつけ、部屋の中を確認する。
バスルーム、タンスの中、ベッドの下。
あらゆる箇所を点検するが、何も異常はなかった。
しかし、どこか違和感を感じる箇所がある。
一体、どこだろうか。
私は、思考をめぐらす。
そして、私はあることに気づいた。
一ヶ所、確認していない部分に。

「天井だ」

しかし、どうやって確認する。
いや、ここは一階、天井といってもその上には二階の床のはずだ。
私は、不思議な気分になった。
同時に、気味の悪さも感じてきた。
よく聞き耳を立てると、何かが這いずる音がする。
それと同時に、動物のような鳴き声が聞こえる。
いずれも、幽かに聞こえるだけであり、聞き違いかもしれない。
だが、確実に二階には何かがいるのだ。
私は、どうしていいものかわからなくなった。
結局、対策として、いつでも逃げられるように荷物をまとめたあと、
夜が明けるのを待つことにした。

カーテンの隙間から、朝日が入ってきた。
あの不思議な音は、二階の廊下をぐるぐると回っているようだった。
しかし、それもある程度時間が経つと聞こえなくなっていた。
熟睡はできなかったが、軽い睡眠を数度行っていた。
二階からの音、疲れが粗方取れたこと、次の聞き込みがあること、
これらのことから、私は宿をすぐに出ることにした。

「どうでしたか?休めましたかな?」
「はい、寝れましたよ」
「そうですか、それは良かった」

私は、二階について聞こうかと思った。
しかし、この老人にこのことを聞いてはいけない気がして、質問せずに宿を後にした。
昨夜のこともあり、すぐに取材を終わらせて、村を離れたいという気持ちがしていた。
早速、村の住宅地に向い、家畜の死亡事件について聞き込みを開始する。
予想通り、進展はなかった。
村人のほとんどは、人の仕業ではなく、怪物の仕業だと噂している。
現地に住む人々ですら、事件の犯人について、何も手掛かりを掴めていない。
ならば、警察は尚更、お手上げ状態であろう。
そんな中、一つ、今までとは違う情報を得た。
情報提供者はこの村で一番人気のある居酒屋の店主である。
店主の話によれば、警察や保健所が牧場について調査する中、
ある大学の教授だけが、宿について調査をしていたというのだ。
宿ができたのはいつか、宿の店主について、店主の家族構成など、
事件と関係ないような事柄を調べていたという。
私はその教授のことが気になり、
居酒屋の店主にどこの大学の何という教授なのか、聞き出すことにした。
ある程度の情報を得ると、一旦、日谷村を出ることにした。
例の教授にあって話を聞く必要があると判断したからだ。
私が得た情報では、その教授は某国立大学の心理学系の教授らしい。
きっと、面白い情報が手に入るだろうと考え、私は一旦事務所へと戻ることにした。

私は、事務所に帰ってくるやすぐにその大学へと連絡を入れた。
同僚や上司から何かいろいろと言われたことがあったが全く耳に入ってこなかった。
内容はどうせいつもどおり「ネタ」に関する話ばかりだろう。
数コールなって、女性の事務員が電話に出た。
私は、日谷村で聞いた大学教授「倉 太一(くら たいち)」に取材のアポイントメントを取ろうとした。
女性の事務員は流暢に話しつつ、倉教授のスケジュールを伝えた。
倉教授のスケジュールとしては、明後日その大学にいるとのことだった。
私は、明後日に倉教授への取材を試みることにした。

日谷村で得た情報を元にいろいろと推測をし、それらをまとめていたらあっという間に時間が過ぎた。
倉教授への取材の日、私は、ある種の興奮を持ってその大学へと車を走らせた。

大学に到着して私が感じたことは、どこか部外者を寄せ付けまいとする雰囲気だった。
生徒や職員たちが放っているのではなく、建物自体もしくはその土地が放っていた。
ちょっとした居心地の悪さを感じつつも、来客用駐車場に車を停め、事務室へと向かう。
電話で対応した女性事務員が現れ、来客者の証明となる札を渡し、ついでに場所の説明もしてくれた。
私は、女性事務員の説明された通り、倉教授の部屋へと向かった。
建物内は先ほど、外で感じた雰囲気はなかった。
内装もそこそこ綺麗であり、勉学に励むにはもってこいの空間と言えるだろう。
私は、着々と部屋へと向かっていた。
倉教授のいる階層についた時、再び、異質な雰囲気を感じた。
その雰囲気を無視しつつ、扉をノックした。
「どうぞ」と声が聞こえ、私は入室した。

12畳程度の部屋で、中央に来客用のテーブルと椅子がぽつんと設置してあった。
あとは、教授用の机と本棚がある程度で印象はかなり片付いた部屋という感じだった。
肝心の倉教授はというと、背丈は30代男性の平均的であったが、どこか表情に力がない。
根暗だとか、そういった感じではないのだが、教育者というより研究者であった。

「例の村について聞きたいことがあるという記者の方ですか?」
「あ、はい。私、こういうものです」

私は、名刺を手渡した。
倉教授はまじまじと名刺を見つめる。

「そちらの椅子に腰掛けていただいて構いませんので」

入室してから立ちっぱなしの私に気を使われたようだった。
言葉に甘え、来客用の椅子に座ることにした。
倉教授も私の向かいの席に腰を下ろした。

「あの村について私のとこに質問しに来た人はあなたが始めてですよ」
「はい、ちょっと気になることがありまして」

私は、警察や保健所が家畜について調べる中、一人だけ宿について調べたこと。
また、私が宿で体験したことを話した。
倉教授は、少し怪訝な顔をして話を聞いていた。

「なるほど、あなたはあそこに泊まったのですか……」
「はい、何か問題が?」
「いえ、大したことでは、あなたが泊まったことで、新しい確証を得れたなと思いまして」
「はぁ……」
「うーむ、そうですね。私が調べていることについて説明したとして、理解できるか……」
「分からないことでも調べるのが記者ですから」
「いや……それよりも信用するかどうかという問題がありますね」
「?」
「うーむ、あなたはオカルトは信じない人ですか?」
「信じないといいますか、目で見た事だけしか信用しません。
仮に幽霊が存在したとして、今の状態では私は信用しません」
「ほう?」
「私が、幽霊に出会い、その事象を体験したら信用します」

倉教授は私の発言を聞き、なにやら考え始めた。
そして、彼の中で何かが決まったようである。
倉教授は、自分の机へと一旦戻り、何か資料を取ってきた。
何かのスケッチとレポートだった。
文章はざっとしか見なかったが、よくわからない内容であった。
人間の誕生以前だとか、過去の文化がとか、今回の件と関係ないような中身だと感じた。
問題はスケッチだった。
これは、倉教授が書いたものらしいが、とてもグロテスクである。
トカゲのようなものに無数の触手が覆っている絵が描かれていた。

「何ですこれは?」

思わず、嫌悪感を露にし発言してしまった。

「これが、今回の件で自分が調査しているものです」
「え?これが?」
「信じられないでしょうが、今回の事件。こいつが犯人でしょう」

あまりに唐突で驚いた。
こんな突拍子もない資料を見せられて、それが犯人だと断言した。
私は完全に思考停止していた。

「このスケッチの生物は、我々人類が地球に誕生する以前から存在しました」
「え、あの?ちょっと……」
「あー、そうですね。どこから話したら良いのでしょうか」
「本当にこういう生物が存在するのですか?」
「します、けれど……根本的なところを説明するにしてもですね……」

明らかに倉教授は困っていた。
話をしようにも同じ土俵に立っていないだから。
しかし、私も十分に困っていた。
倉教授が渡した資料ももちろんだが、彼の話が理解できない。
ただ、全く信用していないわけでもなかった。
なぜなら、あの夜に二階から聞こえた音やあの宿の感じから、
そういったオカルト的現象が起きてもおかしくなかったと思えてきたからだ。

「この手の旧支配者に関する知識は置いておきましょう。
簡単に言えば、人知を超えた存在がいて、その一部がいる宿に貴方は先日、一泊したという話です」

倉教授は体を乗り出しつつ、話を続けた。

「そいつは肉食であって、人間をいつ襲ってもおかしくない状態です。
ただ、そいつ自体の理性と管理してる者のおかげで、人間に被害は出ておらず家畜被害に留まっているのですが……」
「その理性がいつ外れてもおかしくないと?」
「えぇ、その通りです」

倉教授は淡々と答えた。
そして、宿での話をもっと詳しく聞かせて欲しいと言われ、私は詳細を話した。

「夜中ずっと動いてた雰囲気だったと……。確か貴方が宿にいた日は満月だったはず」
「えー、そうでしたかね。あまり意識してみてなかったもので」
「そいつらは、見た目はグロテスクですが、穢れを嫌います。
月の光っていうのは、太陽の光を月が反射しているものです。
つまり、夜は影の部分が降り注いでるといってもいい。
そいつらは、月光が穢れだと判断し、満月の夜は絶対に動かないのです」

理解したわけではないが、なんとなくは分かった。
とにかく、化け物が存在し、そいつらは月の光を嫌うといったことだった。

「満月の日に動き回るということは、穢れを意識しなくても良いほどに力を持ったと判断してもいい」
「力を持った?こんな見た目は強そうなのにですか?」
「穢れでそいつらは弱くなります。そして、地球上は人間や他の動物が生息し、そいつらにとっては穢れとなる部分が多いのです。
そのため、かなり弱体化しており、下手をすればネズミの餌にされてしまうことさえあります」

こんなのものを食えるネズミがいるのだろうかと疑問に思った。
食を疑うな、と心で呟いた。

「満月を恐れなくなったとなると、かなり危険ですね。
おそらく自分の力に溺れ、管理者すら飲み込んでしまうでしょう」
「そんなに危険な状態なのですか?」
「えぇ、貴方が無事だったのが不思議ですよ」
「……・」
「準備は整っています。足があることですし、すぐにでも村へと向かいましょう」
「足って?」
「貴方の車のことです。私があの村で事件を解決する間、それを取材されるといいでしょう。
そうすれば、私が何を話していたか、また、何が起こっているのかもわかるはずです。百聞は一見にしかずですよ」

なんだかんだで、私は倉教授に言われるがまま、再びあの村へと向かっていた。
後部座席には謎の一斗缶が3本ほど置いてあった。
なんでも、化け物退治に利用するらしい。
私は、村へ向かう間、人知を超えた存在について話を聞いていた。
信じきれる気はしなかったが、本当だとするとかなりの脅威だろうと思った。
地球に動植物が生まれる前、地球がただの岩石だったころから何かが生息していたそうだ。
そして、岩石から生命が生きていける環境に地球がなっても、それらは地上を支配していたのだそうだ。
当時では、マインドコントロールの類を使えるらしく、多くの生命を支配していたそうだ。
だが、それも長続きしなかった。
地球は他の星から見ても魅力的だったらしく、他の星の支配生物たちがいくつか飛来したのだそうだ。
そこで、支配生物同士での争いが発生し、互いに傷付け合い、力を消耗していった。
そして、気づけばマインドコントロールの能力も弱まっており、他の動物から反撃にあった。
それにより、地球の支配生物たちも他の星から来た支配生物も一気に衰退していった。
大部分は、海へと逃れ、地下へと逃れ、宇宙へと逃れた。
一部、例外があり、地球の生物の遺伝子に逃げ込んだものもいるそうだ。
その、遺伝子に逃げ込んだ支配生物が極まれに力を取り戻し、宿主となる生物を突然変異させるのだという。
今回の宿に潜む、グロテスクな生物はその遺伝子に逃げ込んだ支配生物の力によって突然変異した何かなのだという。
やはり、私は困惑したままだ。
今まで様々なネタにあったが、ここまで突拍子のないのは初めてであった。
気持の整理が付く間もなく、村へと近づいていた。

「ところで、その一斗缶は何が入ってるんですか?」
「これですか、水銀が入ってます。特別に精製したものでね、奴らにはこれが効果的なんですよ」
「なるほど」

どう使うのかは検討も付かなかったが、相槌をとりあえず打っていた。
ちらほらと牧場が見え、それらを通り過ぎていく。
すでに夕方となっており、オレンジ色世界が広がっていた。
人気が全くない村の中心部を抜けていく。
しばらく走ると例の宿が見えてきた。
私があの日来たときと印象は変わらなかった。

「宿の店主と話をしてきますが、記事にしたいなら貴方も付いてくるといいですよ」

倉教授は車から降りながら話しかけてきた。
もちろん、言われなくても付いていくつもりだったので、私も車を降りた。
宿の中は相変わらず薄暗かった。
私はカウンターに目を向けたが、誰もそこにはいなかった。
倉教授はずかずかとカウンター裏へと足を進めた。
私は驚きながらも後に続いた。
足音に気づいたのか、私達がカウンター裏のドアを開けるより先に主人が裏から出てきた。
表情から驚いていることがわかった。

「どうも、依然お伺いした倉というものです」
「い、一体何のご用件で?」
「貴方の息子さんに関する用件でしてね」
「前も言ったとおり、私には息子はおりません」
「戸籍も調べましたし、ここに住んでいることは分かってるのですよ」
「何かの間違いです……」

主人の声は明らかに震えていた。
倉教授の尋問は続く。

「いる、いないは別に良いとしましょう。ただ、二階にいる何者かはかなり危険なのです」
「二階には何もありません。宿泊部屋があるだけです。今は老朽化して誰も入れませんが」
「ほう、ならどのくらい老朽化しているのか見せてもらいましょうか?」
「いや……それは……二階はすでに板を打ち付けているので、入ることはできません」
「そうですか」

倉教授は、ため息をついた。
そして、スーツの内ポケットから何かを取り出した。
それは犬笛のようなものだった。
倉教授はそれを吹いた。
聞き取れるほどの大きさではないが、普通の笛のような甲高い音ではく、低く不気味な音が聞こえた。
それは、説明しにくい音であり、今までに聞いたことはなかった。
すると、何かがうめき声を上げた。
その声はどう考えても人間や動物の声ではなかった。
不快感を覚える声であり、頭痛を引き起こしそうな感じであった。

「いましたね」

倉教授は冷静に言い放った。
私は何が起きているのか理解していない。
だが、その笛は化け物に何らかの効果を与えるようだった。

「まっ、待ってくれ。これは……」
「ご主人、貴方はかなり危険なことをやっているのです。
あれはもう人間ではない、すでに理性を失ってしまった」
「そんな……まだ……」
「私は、何とかできると思っていましたが、判断が甘かった。
先日、伺った際に処理しておくべきでした」

主人は失意していた。
それとは対照的に倉教授はすごく冷静だ。

「車に戻りましょう。装置を設置します」
「装置?」
「説明は後からしますから、急ぎましょう」

何でも私は置いてけぼりだ。
倉教授はいつの間に積んだのか、トランクからポンプのような装置を取り出した。
一斗缶をセットできる箇所があり、倉教授はそこに缶をはめ込んだ。
そして、ポンプに消火栓のホースのようなものを繋ぎ合わせた。

「さて、さっさと片付けてしまいましょうか」

倉教授はそういって、ホースを担ぎ上げ、宿へと入ろうとした。
私達が宿へと入ろうとした時、主人が飛び出してきた。
真っ青な顔をしており、一目で何かが起きたことが分かった。

「まずい、暴れ始めたか」

倉教授は、主人の表情から状況を理解した。
二階の化け物がついに本能のまま動きだしたようだった。
私も驚きつつ、状況を把握しようとした。
その時だった、轟音と共に宿の屋根が吹き飛んだ。
私は、自分の目を疑った。
そこに出現したのは、倉教授のスケッチと同じものだった。
まさにこの世のものとは思えない存在だった。

「おい、あまり見るな。狂気に飲まれるぞ」

ぼーっとしていた自分に倉教授が声をかけた。
私は取り乱しつつも、状況を記事にしなくてはと、ペンと手帳を手にした。
倉教授は混乱する私や主人を放置し、先ほどのポンプを操作し始めた。
ホースの先端を化け物に向けた。
だが、化け物はそれに気づいたらしく、跳躍し姿を消した。

「逃げられた……村が危険だぞ」
「村の人は誰も気づいてないですよね……」
「車を出してください。奴の足でも車にはかなわない」

私は無言で頷き、車に乗った。
倉教授は後部座席に先ほどの装置を投げ込み、自らもその隣に乗車した。
そして、なぜか宿の主人も助手席へと座った。
私はアクセル全開で村へと向かった。

「おそらく、地に関係する力を持ったものらしいですね。
多分、地を這いながら移動しているはずです」
「それが何か解決の糸口に?」
「まぁ、なんとか。おそらくもうすぐ追い抜くだろうが、這ってる状態では退治できない」
「では、どうするんです?」
「奴らは獲物を狩る時に出現します。
ただ、問題は跳躍力が高く、こちらが何かしようとすると先ほどのように逃げます。
村に入る瞬間、油断しているを狙うのです」
「そんな、もし失敗したら、村人に犠牲が……」
「しかし、今の手段ではそれくらいしかない」

私と倉教授がやり取りをしていると、主人が口を開いた。

「私が餌になりましょう」

倉教授は沈黙した。
少し思考した後、解答が出たようだ。

「わかりました。村に入る前に貴方を囮として、奴を釣りましょう」

しばらく走行し、停車した。
遠めに村が確認できる。
そう遠くない距離だった。
私は二人と装置を降ろすと、車を近くの林につけた。
そして、一生のうちに見ることができるかどうかわからない捕り物を見ようと、
足早に二人を降ろした場所へと向かった。

「おい、主人のとこに行ってどうする」

途中に大きな岩があり、そこに隠れていた倉教授に私はとめられた。
宿の主人との距離は、50mちょっとはあった。

「大丈夫なんですかね?」
「安心しなさい」

倉教授は自信満々のようだった。
気味の悪い音が聞こえてきた。
来た……、私は心の中でつぶやいた。
その瞬間、目の前に先ほどの化け物が現れた。
さらに間近で見たため、いっそう気持悪さが伝わってきた。
宿の主人は遠めでも分かるように震えていた。
恐怖だけではなく、奴の放つ不思議な力に飲まれようとしているのだ。
奴は、ためらいもなく宿の主人に飛び掛った。

「今だ!」

倉教授はホースの口を化け物へと向け、栓を解放した。
ホースから放たれた水銀は、一気に化け物へと降りそそいだ。
化け物は奇声を上げつつ、苦しみだした。
主人はその声を背にこちらに走ってきた。

「成功です」

倉教授はそう呟いて、ホースを伸ばしつつ化け物方へと足を進めた。

「危ないですよ」
「止めを刺すだけですよ」

倉教授はそういって、弱った化け物の頭にホースの先端を突き刺した。
そして、再び栓を解放した。


倉教授は機材を片付けていた。
先ほどの化け物は跡形も残っていなかった。

「終わったんですか?」
「えぇ、これで終わりです」

後から主人に話を聞いた。
2年前に宿の前に赤ん坊が置かれていたのだそうだ。
親が見つかるまでと思って育てることにしたが、
妻が他界してからずっと一人だった彼は、本当の息子のように赤ん坊を育てたそうだ。
しかし、異変に気づいたのは1ヶ月後だった。
成長がおかしいくらいに早いのだ。
不気味に思いつつも、息子同然の存在。
また、成長が早いだけでなく、知性も高くよき話し相手にもなっていたのも彼が捨て子を手放さなかった理由だった。
全ては寂しさから始まったのだろう。
そして、1年たち10代後半くらいにまでなっていた捨て子は、人間のような姿と知性を持っているが
その内心ではとんでもないことを考えていた。
自らが持つ力から世の中はを破滅させようという意志だ。
捨て子自身、自分が持つ遺伝子に気づいていたのだ。
また、主人も何か人間では及ばない現象が発生していると気づいていた。
しかし、それでも主人は捨て子を育てた。
そして、本来の姿を取り戻した状態であっても、必死に食事を与えた。
そう、家畜被害の犯人は、宿の主人とその生物だったのだ。
主人は村人を襲わないようにと、家畜を襲うよう指示し、
化け物もまた高い知性から問題が起きることを避けたいと思い、主人の指示に従った。
だが、化け物は本来の支配欲に負けてしまい、今回、ついに爆発したのだった。
私はこれを記事とすべきか悩んだが、何もネタがない以上このネタを提出するしかなかった。

「今回はかつての支配生物の遺伝子が原因でした。
しかし、我々も大昔に奴らの影響を受けた種でもあるのです。
少なからず、人間全員に奴らと同じように暴走する可能性があることは肝に銘じておくとよいでしょう」

別れ際、倉教授はそういった。
倉教授が言うには、霊長類は知性を得るために奴らに従事した種族なのだそうだ。
そして、支配生物を衰退させた原因も霊長類の反乱なのだとか……
私は、その話を聞き、何が本当に恐ろしいものなのだろうかと悩んだ。
宿の主人が今後、どういった生活を送るのかは検討も付かない。
私も、あの出来事から世界の見方が変わった気がしてならない。
いつ、突如としてあのような事件が現れるのか、ちょっとした恐怖が私を支配していた。





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