ロシアは東シベリアの開発を進めていた。 その中で、地下資源採掘のために莫大な投資を行う。 東シベリアにおける資源確保は、極東アジアへの資源輸出における利益を大幅に増加させることができる。 国・企業は自己の利益を確保できると躍起になっていた。 そして、東シベリア海において大規模な油田を発見。 採掘のための施設が東シベリア海に建設された。 東シベリア海は氷に埋め尽くされていた。 白い陸地とも思えるその景色は、とても幻想的だった。 その景色の中に、異質な人工的建物があった。 東シベリア海の油田施設だ。 「定時報告だ。各区画長に連絡を取る」 様々なコンソールの並ぶ部屋の中、中央の椅子に座る男が言う。 彼は、この施設の最高責任者であった。 彼の指示により、各コンソールに座る作業員たちは、各区画へと連絡を取り始める。 画面上においては、全て問題がないことがわかるが、コンピュータが把握できない問題が発生している恐れもある。 そのため、定時に各区画長へと変わったことが起きていないか連絡を取るのだった。 全ての区画から連絡が取れたらしく、作業員達は「異常なし」の報告を受けていた。 彼はその報告を聞き、満足していた。 彼は、使命感からこの責任者役を引き受けたわけではなかった。 現在、資本主義社会となったロシアにおいては、どれだけ手柄を上げたかによって地位が決まってくる。 同じ会社内において、出世争いに乗り遅れた彼は、必死に出世するチャンスを探していた。 そこに偶然舞い降りたのが、偏狭の地での責任者職である。 過酷な労働環境が予測されたが、国の利益へと繋がることから、政府も目をつけているプロジェクトだった。 そのため、施設の管理をうまく行えれば、間違いなく出世の道が開くと考えていた。 彼は、自ら率先し、候補者に名乗りを上げた。 いくつかの試験を何とか切り抜け、無事に最高責任者の地位を得た。 そして、2年もの間、管理者を務めてきた。 残り3ヶ月勤め上げれば、本社への転属が決まっていた。 もちろん、重役ポストが用意されている。 彼は今までにないくらいやる気を出していた。 順調に進む自らの人生に興奮を隠せないのだった。 「最悪だ……」 防寒着を何重にも着た男が呟いた。 「よりにもよってこの時間帯に外の見回りかよ……」 彼は、施設外を巡回することになっていた。 作業員達でローテーションを組み、定期的に外の見回りを行っている。 彼は不運にも最も風が吹雪く時間帯に順番が回ってきたのだった。 さっさと、巡回ルートを回って室内に戻ろうと彼は思っていた。 だが、今回はいつもと違っていた。 突如、彼は異様な視線を感じた。 「なんだ?」 不審に思った彼は、双眼鏡を覗いて違和感を覚えた方向を向いた。 彼は自らの目を疑った。 そして、寒さと驚きにより震えている手で無線機を掴んだ。 最高責任者はコーヒーを淹れていた。 そして、他の作業員の目を盗み、ポケットよりウイスキーを取り出し、コーヒーに少し混ぜた。 ウイスキー入りのコーヒーを片手に再び、自分のデスクへと向かう。 室内に戻るや、慌しい空気を感じた。 「何が起きた?」 責任者は近くにいた作業員に声をかける。 作業員も困惑した表情を浮かべていた。 「はい、それが……巡回中の作業員から『氷上に人がいる』という報告がありまして、その次の瞬間に音信不通となりました」 「無線機の故障じゃないのか?」 「その可能性もあると思い、近くの区画の者をそこに行かせましたが、無線機だけが残っていたそうで……」 責任者はまさかと思った。 自らが予想したことを作業員に質問する。 「その作業員がいなくなっていたのか?」 「はい」 緊張した面持ちで、その作業員は頷いた。 ここに来て、行方不明者が出た可能性ができたのだ。 責任者は対処方法を考えた。 「とりあえず、各区画長に連絡をしろ。部下の点呼を取るように指示を出す」 「分かりました。直ちに連絡を……」 作業員が責任者からの指示に従おうとした瞬間、施設が大きく揺れた。 各所で火災や地震の警報が鳴り響き始めた。 管制室内には何の異常もないが、各所でかなりの被害が出ている様子だった。 「早く、全区画の状況を把握しろ!」 責任者の怒声が室内に響き渡った。 「よし、時間だ」 安物のデジタル腕時計を見つめながら、金色の髭が印象的な男が呟いた。 髭を蓄えた顔だが、まだ若さを保っていた。 とても凛々しく、頼もしさを感じさせた。 男の名はアルセニー・ジャルコフである。 その顔は今、赤いランプに照らされている。 周りにいる男たちはアルセニーの声を合図に各コンソールをいじり始めた。 そして、その空間は徐々に動き始める。 アルセニーたちは、潜水艦に乗っていた。 そして、今浮上をはじめている。 「海上に出ます。衝撃に備えてください」 深度計を見つめていた男がそういった。 その言葉から数秒後、凄まじい振動を感じた。 大きな黒い塊が、東シベリア海を埋め尽くす氷を砕きながら顔を出したのだった。 そのまま前進を続け、東シベリア海上油田へと接近する。 物資補給などのために、大型船舶の係留を想定したドックへと侵入した。 「よし、予定通り各区画を制圧開始!」 アルセニーの指示により、潜水艦から一気に武装した男たちがあふれ出てきた。 すでに内部を知っているようで、迷うことなく目的の場所へと走っていった。 アルセニーはゆっくりと潜水艦から降りていた。 周囲からは、銃撃音が聞こえていた。 責任者は状況をある程度把握できていた。 なんとか施設下層の区画長と連絡がつき、謎の武装集団が襲撃してきたことがわかった。 先の振動は外部との通信を行うための電話線や衛星通信装置などを無力化するために行われた爆破だったらしい。 すぐに作業員達に銃器を持つよう指示を出したが、戦闘の素人がどのくらい持つか分からなかった。 何せ、凍てつく洋上である。 簡単にテロリストなどが襲って来れぬだろうと国も企業も考えていた。 そのため、防衛に関する装備が貧弱だった。 ただ、責任者が最も悔いているのは、潜水艦の接近に気づかなかったことだった。 民間とはいえ、ある程度高性能のセンサーを持っていた。 しっかりと監察すれば、ソナーにも反応があったに違いなかった。 今ここでそれを悔いても仕方ない。 責任者は何とかして現状を打開しようと知恵を絞った。 だが、それらの対策とは裏腹に現状はどんどんと悪化していた。 各区画は確実に武装集団によって制圧されていた。 「発電管理室応答なし!」 施設内の発電を管理する部署が落ちた旨の報告を作業員が行った。 発電管理室は管制室の1階下であった。 すでに侵入者達は足元まで来ていた。 責任者はバリケードを入り口に張るように指示を出す。 皆、手当たり次第に扉に物を積んでいった。 その最中、突如として扉が吹き飛んだ。 そこに空いた穴から武装した男たちが流れ込んできた。 バリケードを用意している最中に武装集団が管制室に到達したのだった。 まずい、と責任者は思ったが、それと同時に周囲の作業員達が銃撃によって倒れていく。 ついには自分ひとりだけとなっていた。 ゆっくりと歩み寄ってくる武装者に完全に怯えきった責任者だった。 「ま、待ってくれ……少しくらい人質はいるだろ?」 責任者は人質となって命を永らえようとした。 「我々の目的に人質は必要ない」 無機質な声がし、その瞬間に意識が途絶えた。 責任者を射殺した男は、無線機を手に取り、アルセニーに連絡をする。 「管制室制圧。予定通り全区画を我々の制圧下に置きました」 次へ |